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ゆず式最終回は単独インタ
写真
インタビューを受ける二人の大きめの写真。
二人ともぽっちゃり?(笑)

路上からスタートし、スターダムに上り詰めたフォークデュオ、ゆず。その軌跡を辿ってきた連載「ゆず式」も、いよいよ最終回。ラストは北川悠仁(25)、岩沢厚治(25)の二人にスポーツ報知が単独インタビュー、現在の心境と今後の展開を語ってもらった。
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| 「これがゆず式」レポ | 23:11 | comments(18) | trackbacks(2) |
19 時代に逆行もリアリティーあった
アイラブユー
アイラブユー

写真
ゆずも参加している
「寺岡呼人&Golden Circle of Friends」のシングル「アイラブユー」ジャケット


デビュー以来「ゆず」のサウンドプロデューサーを務めるのが元ジュンスカイウォーカーズの寺岡呼人(34)だ。
寺岡と北川悠仁(25)、岩沢厚治(25)との出会いは1997年。ゆずの所属事務所の稲葉晃士代表から「気に入ったらプロデュースしてくれ」と言われ、横浜・伊勢佐木町の路上ライブを見に行くと「誰もやっていないスタイル」に驚いた。昔ながらのフォークスタイルが新鮮で、プロデュースを引き受けることに。
「できるだけ二人の世界を壊さないように」という考えから、最初は「触らない。いただけ」の存在だった。しかし、二人が路上という枠にとらわれず「いろんなことをやってみたい」という思いがふくらんだことから、要求に答える形でナビゲーター的な役割を果たし、曲に深みを与えてきた。
寺岡は「北川は音楽的にニュートラルで、柔軟な感じ。岩沢はフォーク色が強い」とそれぞれの持ち味を分析。「違う所もありながら、微妙にクロスして。うまいバランスをっている所が魅力」という。
その上で、二人の成功の理由を「運が良かった」と言い切る。「(デビュー)当時はダンスミュージックの最盛期。でも、家に帰って踊っていたかというと踊っていない。逆に、ゆずにリアリティーがあった。たとえば90年代前半だったら、彼らは受け入れられなかったかもしれない。もちろん、タイミングをつかめるのも才能のひとつだけど」二人の魅力、楽曲の力を認めながら“時代の風”も味方にしたと見ているのだ。
路上から頂点を極めたゆずの今後はどうなるのか。「奇をてらったことをして、新鮮さを保つのは必要ない。まだまだ彼らの経験から、いくらでもいい曲は書ける」と断言する。しかし、一方で「今まではある意味、パワーと勢いだけでやってきた」と振り返る。これからは、わき上がる情熱をぶつけることだけでなく、二人の音楽性を突き詰めていく事になるという。「むしろ、僕の力が必要になってくるのはこれから」寺岡のアシストで、二人は更なる進化を見せるだろう。

“寺岡組”に参加
寺岡は2002年4月24日に「寺岡呼人&Golden Circle of Friends」としてシングル「アイラブユー」を発売する。ゆずの二人はGolden Circle of Friendsの一員としてこのシングルに参加しており、それぞれのソロの歌声を披露している。99年12月にも寺岡と三人で「The Little Monsters Family」を結成。「星がきれい」をリリースし、話題を呼んだ。
(2002年4月20日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 22:27 | comments(6) | trackbacks(2) |
18 「客観的な耳」でセッション・レコーディング導入
ユズモア
ユズモア
ゆず, 北川悠仁, 寺岡呼人, 岩沢厚治

写真
「ユズモア」ジャケット


2002年のゆずは2月13日に発売したシングル「アゲイン2」で始動した。その翌週の20日には、初の2週連続発売となるシングル「恋の歌謡日」を発売。3月6日にはアルバム「ユズモア」をリリースした。
2枚のシングル、今年第一弾となるアルバムで、北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)の二人は、スタジオで一緒に演奏しながら音作りを進めるセッションレコーディングを取り入れた。2001年10月の「ジョン・レノン スーパーライブ」出演で感じたセッションの面白さ。「バンドだと意思を伝えるのが面倒くさいっていうのがあって。それで二人組みになった」北川と岩沢。「今回のアルバムは、二人で決める事を大事にしたい」と、データよりもニュアンスで音を作っていく作業を楽しんだ。
だが、感覚的に行っていくレコーディングは、一歩間違うと、自己満足に陥ってしまう。「デビューしたころに今のスタイルのようにやっていたら、全然違うと思う」と北川は振り返る。「せーので音を出すと気持ちいいし、やってる実感がわくけど、実際に後で聞いてみるとやってる感じと違う。楽しそうだなってだけで、伝わらないで終わることになりがち。前にやっていたら、ただのライブ盤みたいな感じで終わっちゃたと思う」。しかし、5年間で二人は、さまざまなレコーディングを勉強し「客観的な耳」を身につけた。「今ならできる」これまでの積み重ねは、二人に確かな自信を植えつけていた。
新たな試みは、ファンにも受け入れられた。「アゲイン2」はオリコンチャートで初登場1位を獲得。アルバムを引っさげて3月9日に突入した約1年ぶりの全国ツアー「ユズモラス」(15ヶ所35公演)は35万人を動員、相変わらずの盛り上がりを見せている。

恋の歌謡日
2002年2月20日発売の第13弾シングル。作詞・作曲は北川悠仁。「アゲイン2」から2週連続で発売した最新シングルだが、内容は前作とは裏腹の企画系。なんといっても特徴的なのは北川の女装ジャケット。歌詞も女言葉で、すっかりなりきっている。アルバムに収録されていない事も影響してかロングヒットに。
(2002年4月19日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 22:29 | comments(4) | trackbacks(0) |
17 他アーティストとの共演で成長
写真
2001年「ジョン・レノン スーパー・ライブ」での写真。
元イエモンの吉井和哉さんがメインの写真でゆずは後ろの方でピンボケで映っています。もっといい写真なかったのかな?(笑)


2001年6月、東京ドーム公演をやり遂げたゆずの北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)は、7月から数々のライブイベントに参加する。他のアーティストとの競演は、二人を再び成長させることになる。
7月22日、大阪・吹田市で大阪「FM802」のイベント「MEET THE WORLD BEAT」。8月4日、茨城・ひたちなか市で「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に参加。ともに野外だった。「夏だし、野外でなんかやりたいなって。軽い気持ちで」と北川は言うが、単なる自己満足ではなかった。
東京ドームは二人にとって、客席は味方ばかりの「ホーム」だった。ミュージシャンが集うイベントは「アウエー」。他のアーティストに負けたくない気持ちもあった。「僕と岩沢だからこそできること。自分たちの特性を考えた」と北川が振り返るように「ゆず」らしさをアピールするステージ戦略を練った。見つめ直すことで、自分たちの長所や、目指す事もおぼろげながら見えてきた。
イベントの締めくくりは10月9日、さいたまスーパーアリーナで行われた「ジョン・レノン スーパー・ライブ」。このステージで、次にやりたいことがはっきりする。自分たちの歌ではなく、レノンやビートルズの曲を披露するライブ。ハウスバンドとリハーサルでセッションし、そこでアレンジも決めていく。その“音作り”の方法が、二人には新鮮だった。
「セッションがすごく良くて。ここはこうして…ではなくて実際に演奏して、聞いてみようというスタンスがすごく良かった。てっとり早いし、すぐに形になる。話し合いの時間も無駄に思えて、その時間もセッションできたらいいなと」。セッションレコーディングという新たな発見をもたらした。2002年第一弾アルバム「ユズモア」もその手法を基点に生まれていった。

アゲイン2
2002年2月13日発売の第12弾シングル。作詞・作曲は北川悠仁。約9ヶ月ぶりとなる新曲で、オリコンチャート初登場1位を獲得。変わらぬ人気を証明した。原曲の「アゲイン」もラジオを中心に話題を呼び、インターネットやコンビニでダウンロード販売されている。
(2002年4月18日掲載。年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 21:02 | comments(4) | trackbacks(0) |
16 初の東京ドーム公演で原点回帰
写真
東京ドーム公演の時のもの。
北川さんはタンバリンを持っています。

2001年6月29日、北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)のゆずは、初の東京ドーム公演「ふたりのビッグ(エッグ)ショー」を行った。5万5000人のファンが埋め尽くした東京ドーム史上初のバックバンドなしの公演。アコースティックギターの音色と二人の歌声がドームに響いた。
もともと「ドームで公演したい」ではなく、「二人で何かやりたい」というのが出発点だった。2000年12月、トビラツアー中によみうりランドで行った恒例の冬至ライブがきっかけだった。ツアー中はバンドとともに行ってきたが、冬至ライブをこなした岩沢は「のびのびやって楽しかった」と久々の新鮮味を覚える。「もう一度二人で何かやろうよ」と話がはずみ、所属事務所の代表、稲葉晃士氏が選んだ場所が東京ドームだった。
ステージに立つまで実感はなかった。公演が決まった時は、トビラツアーと休みのことでいっぱい。休みが終わっても、会場の大きさとは違った意味での広さに戸惑いを感じた。
「トビラツアーはトビラの曲をやればよかった。ドームもアルバムを出していれば、やりやすかったんだけど」と岩沢。北川も「何やってもいいんだけど、何やろうか、みたいな。今までの流れのもの全てを使っていいっていうものだったんで」考えあぐねた。最終的に、照明つきっぱなし、映像もいたってシンプルな“原点”で勝負した。
ステージに立った瞬間、腹をくくったという二人。結果、3時間に及ぶ長丁場、観客も曲数も多かったライブを精一杯楽しんだ。終了後は二人ともに「明日のジョーみたいに真っ白」になるほど。「やった」という思いが沸くにはしばらくかかったという。
結果、ファンにとっては“伝説”となったドーム公演。しかし、二人にとっては全てのライブが総決算。成長が止まるわけではなかった。夏から秋にかけ出演するイベントライブは、二人にまた新しいことを気付かせる。

3カウント
2001年5月23日発売の第11弾シングル。タイトルだけ見るとプロレス好きの北川の曲かと勘違いしやすいが、作詞・作曲は岩沢厚治。実際に曲を聞くとプロレスとは何ら関係なく、現実を叩きつけるような歌詞が魅力的。サビの部分での“ハモリ”も健在で、JRAのイメージソングにもなった。
(2002年4月17日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 21:36 | comments(5) | trackbacks(0) |
15 初めての休暇で「自分」を見つめ直す
写真
2001年に放送された「情熱大陸」での各々のひとこま。
北川さんはニューヨークにて。黒のニット棒にダテ眼鏡で黄昏ています。
岩沢さんは青森にて。駅の観光マップ前でギターケースを自分の前に立てかけ、外国人のような両手を広げるポーズ(笑)黒い帽子を被って、前掛けリュックを背負っています。

2001年2月4日、マリンメッセ福岡でトビラツアーを終えたゆずの北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)。ひたすら前向きにやってきた二人に、デビュー以来初めてという約1ヶ月の休暇が与えられた。
「こんなに会わなかったのは結成以来なかった」と北川が言うように、休暇の過ごし方もそれぞれだった。
TBS系「情熱大陸」から、オフを利用してどこか旅に出ようという企画が持ち上がる。ジョン・レノンを敬愛する北川が選んだのはニューヨーク。「電車に乗りたい」と言った岩沢は青森だった。
初めての海外で、北川は大きなカルチャーショックを受ける。まず、人目を全く気にしないで街をかっ歩できることが新鮮だった。
「普段から気にしているわけじゃないけど、多少なりとも気になるところはあって。でも、外国人から見たら、18くらいの小僧に思われてるんだろうな。悪い意味じゃなくて、ちっぽけなんだと」
言葉の通じない街で、日本人であることも自覚する。とにかく、当たり前だったことが、当たり前ではなくなった。観光地にはほとんど行かなかったが、初めての休暇を満喫した。
一方、岩沢には“戸惑い”もあったようだ。「肉体的にはリフレッシュになったんだろうけど、精神的には意外と休めてなかった」と振り返る。休みの間に曲を書かないといけないというプレッシャー。「休暇後に何かしら動きがないと寂しい」不安もあった。仕事をしていた方がいいと思うこともあった。
過ごし方はそれぞれだったが、初めての休暇は、これまでがむしゃらに突っ走ってきた二人にとって、今までの自分を振り返る時間だった事は間違いない。そして、休暇を終えた二人に待っていたのは、6月29日、前代未聞の東京ドーム公演だった。

飛べない鳥
2000年10月18日発売の第10弾シングル。作詞・作曲は岩沢厚治。「嗚呼、青春の日々」とは裏腹に、こちらは岩沢ワールドが全開。澄み切った高い声が響き渡っている。フジテレビ系「涙をふいて」の主題歌。北川悠仁が作詞・作曲のカップリング曲の「シャララン」も映画「学校検廚亮臑蟆痢
(2002年4月16日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 21:42 | comments(10) | trackbacks(1) |
番外編 “見て”“聴いて”歴史を探ろう
写真
1999年冬至の日ライブin西武ドーム球場の写真。
北川さんは西武の松坂投手からもらった、ホーム用ユニフォームの上、岩沢さんはビジター用の上を着ています。
北川さんが爆発的な風邪を引いた伝説の冬至ライブです(笑)
新聞休刊日特別版の今回は「ゆず式 番外編」。読者の皆さんからメールで寄せられた質問にお答えします。

Q 「ゆず」の原点とも言える“路上ライブ”を見たいのですが?
A ライブビデオ「ふたり」に、1998年8月30日の横浜・伊勢佐木町松坂屋前での路上ラストライブの模様が収録されています。初期のゆずを知るには絶好。舞台裏を含めたレアな映像がいっぱいです。
Q 「ゆず式」を読んで、ますますゆずのことが好きになりました。もっと二人のことが知りたいのですが、何か関連本はありますか?
A ゆず公認の本は二冊。ひとつは「YUZU ON AIR」。98年4月から2000年11月まで、約2年半にわたりパーソナリティーを務めた「ゆずのオールナイトニッポン」の歴史をまとめたもの。子どもの頃の写真なども掲載された、ファンにとってはバイブル的な本です。もうひとつは「ゆず 不自然」。デビュー当時から二人を見続けてきたライター森田恭子氏によるドキュメント。“トビラ”ツアー終了後から、オフを経て東京ドームまでのゆずを徹底追跡。二人のインタビューも満載です。
Q スペースシャワーTV[ミュージック・ビデオ・アワード」で視聴者投票の賞に3年連続選ばれたとありましたが、何の曲が選ばれたのですか?
A 「ベスト・ユア・チョイス」に選ばれたのは98年は「夏色」、99年は「センチメンタル」、00年は「飛べない鳥」です。どの作品も一見シンプルに見えながらも凝った作りが随所に見受けられ、二人の人柄までにじみ出るような作品です。
Q 「ダスキング」という曲の間奏で、セリフを言っている部分があるのですが、歌詞カードに載っていません。何と言っているのですか?
A 教えてあげたい所ですが、秘密だそうです。よく聴いて、想像してみてください。

(2002年4月15日掲載)
| 「これがゆず式」レポ | 21:26 | comments(8) | trackbacks(0) |
14 新たな挑戦「トビラ」開いた━━
トビラ
トビラ
ゆず, 北川悠仁, 寺岡呼人, 岩沢厚治

写真は「トビラ」ジャケット。


2000年11月1日、北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)のゆずは、3枚目となるアルバム「トビラ」を発表した。北川が「もしかしたら、自分たちの音楽を嫌いになっちゃう人がいると思ったけど、覚悟は決めていた」というように、二人にとってこのアルバムは新たな挑戦だった。
第一に「ゆずの素」「ゆずえん」ときたタイトルから「ゆず」の文字が消えた。曲もこれは北川の曲、これは岩沢の曲、というようにそれぞれの“色”が強く表れた。すでにファンの中では「ゆずの音楽」というイメージができあがっていたが、いい意味でそれを壊す一枚だった。
ファンのイメージと自分たちのやりたい音楽にひずみが生まれていた。「今までのゆずと違うと思われても仕方なかったけど、音楽に嘘はつきたくなかった。それで一度、お互いが思いっきりやりたいことをやろうと思った。やってみないことには始まらなかった」と北川は言う。
トビラ発売の3日後の4日からは、世紀をまたにかけた“トビラツアー”がスタートする。アルバム同様、それまでのゆずのライブとは違っていた。これまではギャグなどを盛り込んだお楽しみのコーナーも多かったが、ほとんど排除された。トークも少なく、トビラの曲を「聴いてもらう」というスタンスが、はっきりとしたツアーだった。
ツアーのために「オールナイトニッポン」もやめたことからも二人の覚悟がうかがえる。結果として、トビラツアーは二人の成長をまざまざと見せつけるツアーになった。離れていくファンはほとんどいなかった。「ツアー中はとにかく必死だったんだけど、正直嬉しかった。ファンにちゃんと受け止めてもらえたというのが自信になった。終わったとき、初めてやってよかったな」と北川は振り返る。
そして、ツアー最終日の2001年2月4日、ゆずは東京ドームでライブをすることを発表する。さらに、ツアーを終えた二人には、もう一つ大きなプレゼントが待っていた。

嗚呼、青春の日々
2000年5月31日発売の第9弾シングル。作詞、作曲は北川悠仁。オリコンのシングルチャートで初めて一位を獲得した曲。ジャケットを漫画家の本宮ひろ志氏が手掛けたことでも話題になった。「ハモリ」の部分は比較的少なく、北川の力強いリードボーカルが全面的に響きわたる。
(2002年4月14日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 22:53 | comments(7) | trackbacks(0) |
13 音楽専門TV番組で一躍看板に
写真
スペースシャワーTV「MVA’99」の授賞式の写真。
二人ともスーツで、北川さんはトロフィーを持っています。


曲作りとライブを最優先した結果、テレビ番組にはほとんど出演しないことになった、ゆずの北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)。
ただ、全く出なかったわけではない。たまにゲスト出演することはいまだにあるし、CSの音楽専門番組「スペースシャワーTV」では、1998年4月から2年間「電リク野郎ELVIS」というレギュラー番組を持っていた。
出演のきっかけは、やはりライブだった。97年ごろから、同局がアンテナショップとして経営するインディーズ系のレコード店で、数字的にゆずの名前が現れ始めていた。所属事務所の稲葉代表から「ゆず、来年は100万枚いきますよ」とも聞いていた同局の放送本部長、近藤正司さん(44)は、ならば一度━と10月に東京・日比谷野外音楽堂で行われた同局の無料イベントライブにトップバッターとして起用。そしてゆずの力に驚く。
「路上には行っていたけど、大勢の前ではどうなのかな、という疑問があった。でも、ほとんどゆずを知っている人がいないのに、2曲目からみんな手拍子。お客さんがハマっていく感じがわかった」。翌年4月からのレギュラーを決めた。しかも、当時から同番組では大人気だったユースケ・サンタマリアと、globeのKEIKOとの共演という大抜てき。まだブレーク前だったことや、音楽専門番組だったことがテレビ出演の大きな手助けとなった。
番組の人気はすぐに上昇、ゆずは同局の看板アーティストの一人となる。その証拠にスペースシャワーTVが毎年一度、優秀なミュージックビデオを表彰する「ミュージック・ビデオ・アワード」で、視聴者の投票で選ばれる賞に、98年から3年連続で選ばれた。
人気は上向くばかりだったが、「電リク野郎ELVIS」は2000年3月で終了する。さらに、ニッポン放送のラジオ番組「オールナイトニッポン」の司会も2年8ヶ月で終わる。ゆずにとって新境地を開いたアルバム「トビラ」と、そのツアーのためだった。

心のままに/くず星
ゆずにとって唯一、2曲A面の第8弾シングルで、全4曲を収録。「心のままに」は北川悠仁が、「くず星」は岩沢厚治が作詞、作曲している。フジテレビとのダブルタイアップで、それぞれ「力の限りゴーゴゴー!」「恋愛地球旅行あいのり」の主題歌になった。二人の個性の違いが同時に味わえるお得な?一枚。
(2002年4月13日掲載・年齢は2002年当時)
| 「これがゆず式」レポ | 21:40 | comments(9) | trackbacks(1) |
12 自分たちを見失うのが怖かった「テレビ出演」
写真
スペースシャワーTV「MVA’98」にて、司会のユースケサンタマリアとのトーク写真。
二人ともゆずT&岡ジャを着ています。
ちなみに、この「MVA'98」でゆずはベストユアチョイス(投票にて決まる賞)を受賞し、「夏色」のライブを披露しました。


「オールナイトニッポン」レギュラー、「夏色」のブレーク、積極的なライブ活動…。曲がCMソングに起用される事も多くなり、北川悠仁(25)と岩沢厚治(25)のゆずワールドは日本全国に広がっていた。当然、テレビ出演の以来も来る。しかし、いまだに地上波のテレビ番組で二人を見ることはほとんどない。
浜田省吾、松山千春ら「テレビに出ないアーティスト」はゆずだけではない。理由はそれぞれだが、ゆずの二人はテレビ出演が「怖かった」という。影響力もそうだが、時間と労力に不安を抱いていた。
気の合うスタッフに囲まれた「オールナイトニッポン」はいい意味での息抜きの場でもあった。それでも、毎週のレギュラー出演はかなりの時間を費やす。「僕の勝手なイメージで、テレビはもっと大変なんだろうなと。それで曲作りの時間がなくなったら嫌だなと思った」と北川はテレビ出演の話があったときのことを振り返る。二人にとって最も大事なことはライブと曲作り。それは今でも変わらない。テレビに出演することで、曲作りの時間が減る事はもちろん、「自分たちにとって一番大事なこと」を見失ってしまうのが何より怖かった。
それでも。周りから出たほうがいいと勧められれば出演するつもりだった。しかし、ゆずの“本質”を理解しているスタッフも強要はしなかった。
「テレビ大嫌いとかいうんじゃない。むしろテレビを見るのは大好き」と岩沢は言う。北川も「偉そうに言う事じゃないですけど、いずれチャンスがあれば構わない」と声をそろえる。二人がテレビに出ないのはライブ、曲作りと比較した優先順位の結果だ。
ただ、ゆずが唯一レギュラー番組を持ち、いまでも不定期でよく出演するテレビ局がある。CSの音楽専門チャンネル「スペースシャワーTV」だ。

友達の唄
1999年9月29日発売の第7弾シングル。作詞、作曲は北川悠仁。グリコポッキーのCMソングになったことでもおなじみ。サビは北川が歌い、それを岩沢が繰り返す。間奏の「パッシュビッ シュビドゥバッバ」というフレーズなど、ファンとともに大合唱する曲という意味合いも強く、ライブ会場の一体感が最高潮になる。
(2002年4月12日掲載・年齢は2002年当時)


※ちょうど4年前の今日の記事でした〜!!
| 「これがゆず式」レポ | 22:46 | comments(7) | trackbacks(0) |
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